安住の地 (3月14日)

 ここ10年くらい、若い人達の口をついてよく出て来る「わたしはこういう人だから」という言葉があります。
最近の若い人達は自分を良く見てるんだな〜と感心したりしてたのですが、どうもそうでもないみたい。
自分の中に安住の場所を求めて、そこに居座ろうとしている言葉のようです。
自分を見つめるという作業の目的は、現在の自分のスタンスを確認し、より良い自分にステップアップしよう
とする為のもののはずだったのですが、どうも後の方は放棄しようとしているようです。

自分を知る事はなか難しい。自分がカチンと来たり、悲しく感じたりした時こそ自分の思考の癖が分り、そこに
自分の弱点を発見し、何とかその弱点を克服しようとあ〜でもないこ〜でもないと、のたうち回って来たように
思います。

最近、娘の大学が決まり、本人はアパート暮しが出来るものと思い込んでいたところに、2年までは学校の寮に
入るよう言われたものだから、相当ショックだったようです。同じ部屋に4人の生活では、気の休まる時間がな
い事が1番の理由の様でした。アルバイトをして生活費を稼ぐからアパート暮しをさせて欲しいとの事でした。
妻も「あの子は人に気を使うから・・・」と、アパート暮しさせてやりたくていた様ですが、断固としてその線
は譲りませんでした。娘には、「アパート暮しさせる程、我が家はリッチじゃないよ。」の一言。

でもね、本当はそんな事じゃないんです。理由は簡単です。本人がとても嫌がったからです。
人生いたるところ青山あり、隅にも置ける人になって欲しいと思ったからです。これから人生の荒波に揉まれる
若い人だからこそ、自分の枠の中に安住を求めず、自分の枠を広げる柔軟性が欲しいという願いがあります。
「わたしはこういう人」ならば、「こういう人」からの脱却を試みて欲しいのです。

若い頃、「親父がこうだから親父が嫌い」だったわたしですが、ある時ふと・・・これって、愛されなければ愛
せないって事か?そんな事を考えると親父に変われと言っても長い人生それでやって来た訳だから変わるはずも
ないな〜・・・こっちが変わった方が早いかな?それが若さの特権かな?
で、月の立場から太陽の立場に回った事を覚えています。それがわたしの成人式だったのでしょう。
勿論、すんなりとは行きませんでしたけどね。「嫌だ〜!」と、そこに居座りたい自分をなだめすかしながら、
のたうち回った日々でしたけどね・・・(^_^;)

世の中そんなに甘いもんじゃないんだよ、のたうちまわってみろ!ガハハ〜ッ
4年間、学生という大義名分を着て自由な時間を得た娘に対する嫉妬かも知れませんね。
もっともわたしは5年間も大義名分を振りかざしましたけどね、ヒヒヒッ。
今日はわたしの誕生日、安住の地を求めてまだまだ彷徨い歩く若者なのだと再度心に誓ったのでありました。

wagner's room