「あ」と「こ」の違い(8月15日)
お盆という事で、今日は「あの世」の話しを少ししたいと思います。
私が「あの世」とやらを意識し出したのは、学校を卒業し就職して半年位経った頃だったと
思います。ある日、頭痛がして身体もだるい日がありました。連日ちょっとハードな仕事
だったせいで疲れが出てるのかなと気にしてませんでしたが、たまたま私の後輩が遊びに
来てくれて頭痛の話しをすると、
「じゃあ、私が直して上げましょう」という事になったのでした。
どういう事かと思ったのですが、どうやら信仰の道に凝ってるようで、ハンドパワーで
悪い部分に光りを当てて直すのだそうです。私も頭痛が直るなら何でもいいやって、気軽
にやって貰ったのです。
椅子に座らせられ、「はい、力を抜いて楽にして下さい」後輩は、私の前の椅子に座り、
私の頭あたりに手をかざします。頭と後輩の手の間隔は10cm位かな。暫くすると、私の
肩が私の意志とは別に上下します。丁度、ビート・タケシが肩を上下する様な感じです。
アレッ?おかしいなぁ・・・。
そう思って更に力を抜くと、両膝に置いていた左右の両手がスーッと上がって行きました。
なっ、なんだ?ちょっと面喰らい乍らも成すが侭にしていたところ、密教の印を結ぶ様な
しぐさを始めます。手をかざしていた後輩も私自身も青くなりました。
更に、ふと車のキーの所在が分からなくなっていた事に気付き、あのキーはどこにいった
んだろうと頭の隅で気に掛かったその時、わたしの右腕がスーッと伸びて棚の方を示します。
誰かに手を取られて案内される感じに右腕を何ものかに預けその棚の方に歩いて行きました。
棚に手が付くか付かないかのところで、わたしの腕はスーッと下へ向かいます。
有りました。車のキーです。棚の下に落ちていました。ゾゾッ。。
只、その時、どういう訳か音楽の鳴っている天井のスピーカーに向かって腕が伸びて行く
し、気分も悪くなかったんです。悪いものに取り付かれてるんじゃないなって気はしました。
頭の中は少しパニックではありましたが、いたって冷静に事の成りゆきを見つめていました。
でも一体何なんだろう・・・。後輩もこんな事は始めての経験だという事で、信仰の道の先輩
に聞いてみてくれるという事に成りました。
2〜3日して、後輩が信仰の道の先輩の言葉を持って訪ねて来てくれました。
「教会の幹部の人に聞いてみたんです・・・。」と後輩。
その幹部の人に言わせると、私は悪霊に取り付かれていてこのままでは地獄行きだから、
教会に入って世の為人の為に手かざしの修行をするように。一刻も早く教会に来るように。
という事でした。
青くも成りましたが、世の為人の為に修行している教会の幹部の人が、何も知らないで
パニックに陥っている素人に、そんな地獄行き等と人を脅すような事を言っていいのか?
という疑問が沸き上がり、そんな教会には行きたくないと思いました。
「俺は、地獄に行ってもいいよ、自分で納得出来る答えを自分で納得行くやり方で探すよ。
お前も、人を脅して信者を集めるような宗教団体は止めた方がいいよ。」
後輩にもそんな事を言ったのを覚えています。
後輩がその幹部の人の答えを持って来てくれるまでの間に、手かざしをされなくとも身
体の力を抜き、何者かの成すがままにすると私の意志とは関係なく、印を結んだりする事
が出来るようになっていました。ボールペンを持って紙に向かうと、勝手に文字や記号を
記し出します。自動書記ってやつです。
それからです、私がそういった関係の本を読みあさり始めたのは。
地獄行きが掛かってるので必死でした。宗教関係の本や奇跡的な事柄の書いてあるものやら
手当たり次第に読み漁りました。当然、避けられない「あの世」とやらの本もです。
日本のもの、外国のものを問わず、時代も100年前に書かれたものまで様々です。
ゴータマ・シッタルタ(ブッダ)やキリストや古くはアポロンまで行き当たりました。
詳しい経路は省略しますが、それから3年位掛けて分かった事は、霊能者と呼ばれる人はゼロ
能者だという事。人生を生きて行く上においてそんな能力は屁の足しにもならないという事で
した。その力を仏教でいうところの八正道に照らし合わせて使わない限り、本人もとんでもな
い事に成るという事でした。街の宗教家の引き起こす事件や、悲惨な末路はご承知の通りです。私の場合は、どうやら私の内在された魂が前世の密教の修行時代の事を出して来ているらし
いという事。摩訶不思議な事を言う奴とお笑いでしょうが、単なる思い込みの世界です。(笑)
日々の生活をする上において、私は変人でもなく社会的立場もわきまえて生活しています。かな?
変な力についても、(印を結んだり、自動書記したり)霊能者はゼロ能者という事を理解して
以来、自分で封印しています。何故なら、日々の生活こそが大切だと思うからです。
どうせならピンからキリまである霊能の力を高めようとした事もありましたが・・・。
そのようなものに捕らわれる事なく、いかに日々を明るく生きるかという事の方が人間として
やるべき事だと理解するのにそんなに時間は掛かりませんでした。決して抹香臭い事をぬかす
つもりはありません。かく言う私は聖人君子でもありませんし、適当に助平だし間違いも多い
人生を歩んでいます。それもまた善しと思っています。あの世とこの世は、「あ」と「こ」の違いだけの直ぐ側に有ります。
霊感の強い人は、たまたまチャンネル感度が良かったラジオやテレビのようなものです。
周波数を合わせると、ラジオやテレビは電波をキャッチします。
あの世は何層にも分かれていてチャンネルを合わせる側の「この世」の人間の心理状態に応じた
階層の「あの世」の世界とチャンネルが合います。
日々の生活の中で自分の心を見つめた時、瞬間・瞬間に流動する心の動きを捉える事が出来ます。
時には冷静に事を考えていたり、時には感情が支配していたり・・・その感情も様々です。
感度のいい人は、その時々の心理状態の「あの世」の階層とチャンネルが合ってしまう訳です。
その時に、チャンネルの方へ意識を向ける事が霊能へと繋がる訳ですが、しっかりした自己分析の
出来てない人がそれを行った場合、自分の意志なのか下等階層の霊の意志なのかが分からなくなり
ます。あるいは何の意志も持たず自分の中の意志を空け渡した時、側にいた様々な意志(魂)が入
り込んで来ます。たいがいは、あんまり良いとは言えない意志(魂)ですが。
それが先天的であろうと後天的なものであろうと、そういった危険性を持った精神構造の魂を持
ってしまった訳ですから、少なくとも不動の心を持つまではそういった世界にチャンネルを合わせ
る事は避けようと思っている訳です。宗教家になるつもりも、盲信に身を焼かれるのも、まっぴら
ゴメンなのです。本当の能力者は、自分の心を不動のものとし、知恵というか天恵を自分の言葉で
吐ける人の事を言うのであって、神の言葉と称して絵空事を棒読みする人の事ではないと思ってい
ます。もちろん、知識を人にひけらかす事でもありません。知識と知恵とは違うものですもんね。
わたしの友達にも多くのそういった魂の癖を持った人がいます。彼等の能力が偉い訳ではなく、
生きざまの素晴らしい人がいます。「日記」にちょっと紹介したKママなんかもその1人です。
彼女は本当に忙しい時間を選択する時に、自分の時間として使うか本当に困っている人に使うか
どっち?と言えば、迷う事なく後者を選択する人です。月末でお金の集金に困っている時でさえ、
他人の困り事の方に行ってしまう人です。(笑)単なるお人好しとは違いますよ、何故ならそこ
に信念があるからです。普段は気さくなオホホホッって普通の奥さんなんですけどね。
だから生活はいつも大変。お金儲けの下手な人です。本当に人生は選択の連続ですね。一切皆苦と言ったお釈迦様のお言葉通りの人生です。
今日もまた苦をじっくり味わいましょうか・・・せめて明るく前向きに。Topへ