禁煙の愉しみ?
数年前までは、喫茶店に入っても片隅に禁煙席ってものがありました。
今では、禁煙席が広〜くなり隅の隅に喫煙席なんて状態・・・喫茶店のそんなに広くもない
部屋の中でですよ。煙りは喫茶店の中に充満しますって!
駅のプラットホームでも喫煙場所な〜んてのがあったりして、
それ意外の広〜いプラットホームのどこでもタバコを吸っちゃいかんとのJRのお達し。
(JRだけではないかもしれませんが。)あんなに広いプラットホームのはじっこの方に
吸い殻入れが用意してあって・・・プラットホームって、地下鉄でもない限り外ですよねそと!
喫煙者のマナーもあるんでしょうが、ホームに煙りがこもる訳じゃなし、
昔のようにホームの柱に吸い殻入れを置いといてもいいじゃありませんか。ダメ?
わたしなどは、「意志が固いから、絶対たばこは止めません!」等と、うそぶいていたのですが。。
そんな喫煙者の念いをしていたのですが、先日の日経流通新聞に「禁煙の愉しみ」という
エッセー本の紹介記事がありました。曰く、健康の為でも、たばこに対する社会的な圧力の為でもない。
「禁煙というものが喫煙者であるわたしにとって、まさしく想像を絶する事態であり、私はその想像外の
境地に立ってみたくなったのだ。」そうなのである。勿論、ニコチンに対する禁断症状の波は絶え間なく
襲って来るが、コツは立ち向かおうとしない事だという。「(ニコチンへの)欲求が我が身を突き上げて
いるという常ならざる感じを、全身で味わってみること。」それで獲得したのが、クリーム状の固まりが
目の奥あたりに生まれるというイメージなんだそうです。そしてまた、「ニコチンへの喪失感が、
同時に新しい事への志向を産む。」のだそうです。そこで著者は、イタリア製のパスタ製造機の購入、
逆立ちの練習、ひょうたんの栽培など新たな経験をする事で禁断症状という「巨人を軽くいなす」ための
工夫を重ねていく。「若い時は何でも新鮮だからそもそも新しい経験をわざわざしようと思わない。
ところが、中年になると毎日をだらだらと生きてしまいがちになる。」のだそうで、若いわたしには
その辺は良く分かりませんが(^_^;)同じ著者の「気晴らしの発見」には、「ストレス(禁煙も含む)
を病む者は、たとえ後ろ向きの姿勢であっても、世界の秘密に近づきつつある者だ。」と記している。
意外とこんなところに「世界の秘密」=「神は細部に宿る」のでありましょうか?
苦痛から逃れるのでなく、苦痛を味わってみる事。仏陀が諭した悟りの方法論のようですが、
禁煙を通して新たな自分が見えて来るなら・・・やってみます?
ストレスだらけの現代において、ストレスから癒しに逃れるのでなく
ストレスそのものをじっくり味わうのも・・・どうですか?
どんな固まりが目の奥に生まれて来るのか・・・じっと座ってみましょうかね〜。
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