その夜は玄関のタイルの上から動けなくなったワグナーを抱きかかえて、和室に敷いた布団の上に移動したのでした。危篤状態なのかハーッ、ハーッと少し荒めの息をしていました。少しでも何かして上げられる事はないものかと、夜の11時頃、迷惑かと思いながらも友人の霊能の力のある敬子ママに電話してみました。3コールして出なかったので、寝てるかもしれないと思い受話器を置いたのでした。が、直ぐに電話のベルが鳴りました。敬子ママが掛け直してくれたのです。 2時頃までワグママとワグナーの側に居ましたが、わたしは2階の寝室、ワグママはそのままワグナーの側に布団を敷いて寝る事になりました。 2008年9月8日午前4時過ぎにワグナーは息を引き取りました。ワグママが4時過ぎにウトウトして、はっ、と気付くとワグナーの息がなかったそうです。その間、ほんの数分。 |
その朝から、オネエやガキンチョ、そしてお世話になったワンコ友達に連絡したら、まずはワグナーカートを段取りしてくれた喫茶店のマスターとママさんが直ぐに駆け付けてくれて、「ワンコは亡くなった後は直ぐに悪くなるから。」と、取引先に電話をしてくれてドライアイスを届けてくれる段取りをしてくれました。その日のお昼頃には仙台からハッピーママとむとさんが駆け付けてくれました。あいにく、わたしは会社で抜けられない仕事があったので、むとさんやハッピーママとは電話でしか話せなかったのですが、忙しいところを駆け付けてくれて本当にありがたかった。更に、ご近所のマロママや、まるパパ&ママ、サリーパパ&ママ&りんちゃんと、訪れてくれました。 その日の夜にオネエが帰って来ました。「お前、何て言って会社を休んだの?」 |
わたしの以前の職場の同僚が、鶴岡にあるペット霊園の園長さんをしていたので、その友人からお経を上げてもらいたいと、ワグナーの亡くなった夜に電話でお願いをしていました。 翌日、ワグナーを車に運び入れ、わたしとワグママとオネエで鶴岡の霊園に行きました。心有るお経を読み上げてもらい、火葬する直前にワグナーと最後のお別れ。万感の想いが胸に込み上げました。 |
ワグナーの体調に異変を感じてから、丁度1年ほど経ちます。最初は余命3ヶ月と言われたけど、1年も私達の為に頑張ってくれたワグナーでした。闘病生活はいろいろな事があったけど、事有る度にワグナーと私達の結束が強く成っていった様に感じています。その都度その都度、楽しかった。 沢山の心有る励ましや、お花をいただいた皆さんには、ご連絡も出来ずに申し訳ありませんでした。お花が届いたしるしを心ばかりのものですが、後程送らせて頂きますね。本当にありがとう。 2001年の1月1日に飛行機に乗って我が家に来て、この7年と8ヶ月のワグナーとの生活は本当に楽しかった。多くのワンコ友達とも知り合わせてくれて、いろんなところに連れて行ってくれました。あそこにも行った、ここにも行った。そんなワグナーとの思い出が一杯です。 |